当神社は昭和の初め、神戸有馬電気鉄道株式会社 社員代表が交通安全、商売繁盛の守護神として京都伏見稲荷の分神を祭祀し当時、護明稲荷神社と称し参拝者も多く次第に発興したるも、日支事変大東亜戦争と、時代の変遷に伴い境内も荒れ放題になり、ついに参拝者も途絶える状態になる。
其の後、恐ろしい事件が発生した。神戸電気鉄道㈱の鵯越駅の電車の脱線事故により死傷者何十名と言う悲惨な事件、又同じく長田付近にて電車の脱線事故による、多数の死傷者を出すと言う件、同じく七号トンネル内にて電車の衝突による負傷者の続出、日本国中を騒がせた、鈴蘭台地区の赤痢の大流行等、次々と大きな事件が起こりまたまた数知れない程の事件が続出し余りの大きな出来事に住民も非常に不安を感じた。その時、此の神様を復興して護って貰ってはどうかと言うことになり此処に、広く地域の方々の浄財を募り二十七年著名者によって復興される。
末広稲荷神社 秋季大祭 令和2年10月 天狗さん 拝殿前で撮影
往昔この付近は低い山続きで「一ツ鍬山」と云い北東に一脈のほの暗い谷間がありここに大きな蛇が住んでいると云う伝説があり誰云うことなく「蛇ケ谷」の異名を持って知られた淋しい所でありました。
昭和二十五年頃よりこの辺り一帯を大規模な宅地造成が進められ昔の山容は一瞬にして昔の姿を消してしまいました。
ところが宅地造成の機械の先に不思議にも五色の蛇の群がまつわり、あまりの不気味さに恐れをなして工事を一時中止しました。
折しも末廣稲荷の蜀台の鉄板に燈明のあかりによって、白と黒との二体の蛇の絵模様がくっきりと浮かび続いて 灯篭のあかり窓にも蛇の姿があざやかにあらわれ、はては工事責任者が原因不明の高熱に悩ませるなど心胆を寒からしめる異変が連続発生したのであります。
そこで神仙の司人をして神意を問わしめたところ、今を去る約六百五十年前より永くこの地に住していた蛇の一族が急に安住を奪われ行く先を失った苦しみのあらわれとのお告げを受け、早速関係有志の者相集い、この地に 精霊安住の御社を建立し、その名も厳龍大神と稱えて鎮座奉祠することとなりました。
其の後この社に詣で崇敬の誠を捧ぐる者あとをたたず 蛇霊の神徳まことにあらたかにして、信望礼拝する者の諸願をかなえ家運隆盛、商売繁盛、無病息災の守護神として永遠に恵みをたれ給うのであります。
ここに謹んで由緒を記述します。
昭和四十七年吉日
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鈴蘭台駅 ベルスト1Fで、すし千坂さんのご厚意でお子さんにおにぎりとお茶が配られました。 ありがとうございました。